ハーブ園の風景

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    数あれば、人により気に入っていてだけるかなと。

AIVAN行事風景

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    AIVANアロマテラピースクールの行事、風景作品、ついでにパリでの講演・・など掲載

猫の里親探し

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2006年11月の記事

2006年11月30日 (木)

熱き心は、登山と企業から

日本山岳会副会長で住友ゴム顧問でおられる平林克敏氏のお話を聞き、お話しする機会を得ました。
平林克敏氏は日本で始めてエベレストに故植村直己さんと共に1970年に初登頂をなさった方です。
しかも同志社大学の大先輩であったとは知らなかった。
私の知りたかった文化論をわかりやすく実学の上で解いてくださった。
ダンロップのフランスの社長も歴任されておられ、ヨーロッパ、フランスの視点からのお話しを聞くことが出来ました。
ヨーロッパの基礎研究にかける意気込みや、その思想、挑戦する人間への賛美、を登山家という立場から学ばれたそうです。
社会に新しい価値を求める精神、心を表現する場から文化が生まれるのだとお話を聞かせていただきました。
昨今の、経済至上主義を考え直さないといけないと。
経済の前には、もっと大切なことがある、それが、真理の探究であり、こころざしである。
今の日本の、求めれば苦労せずにすぐに得られる文化によって、衰退しているのではないかとおっしゃった。
ヨーロッパから文化を取り入れ、アメリカからは資本主義を取り入れた日本も、しっかりしたアイデンティティーを持たなければならないと私は非常に実践文化を学び感銘しました。
お忙しい財界人にたいして、たいへんに厚かましくも、神戸までご訪問をしても良いかとお願いまでしてしまいました。
こころよくお受けいただきましたが、さて私からお話しなど出来るものなどどれほどあるのか。
香り人類(薄)学との接点をお話しできるかと、こうしてフランス語の出来る方とお会いするとやっぱりフランス語を勉強せねばならないかな。
千里の道も一歩から。
今のままでは、千里の道の一歩も空です。
早速、”
熱き心 登山と企業から学んだ” 平林克敏氏のご著書を買ってきました。
恩師にお会いしたようなうれしさがこみ上げてきました。

2006年11月27日 (月)

里親に考える。

物事はいろいろな面から見ることが出来る。
子猫の里親が見つかって、また野良の子猫が入ってきた話をしたけれど、
先日の犬の崖での救出劇の後、里親の名乗りが30件とか40件とかあったと報道番組で聞いた。
犬は一匹なのだが、きっとうれしく微笑ましい話だ。
後の29件か39件かともかく1件を引いた残りの里親希望者は、
他の犬では駄目なのだろうか。
里親を探しているかわいそうな動物は、他にも全国で30匹や40匹ではないのだ。
もしあの崖に取り残された犬でなければ、イヤだというならそれはどういう事なのだろうか。
確かに、やさしそうな犬ではあった。
だが、単にあの犬に一目惚れしたからと言うのなら、たいそうかも知れませんが、10年はペットと苦楽をともにする覚悟をしてでも有り余る愛情を注げると言うには、あまりにも犬を飼う動機としては安易なのではないか。
犬を飼おうという引き金になっただけなのだろうが、
人生の悲哀の感情移入のたまものか、それともあの犬の強運にあやかりたかったからだろうか。
私としては、残りの人はどこかのペットを引き取ってあげて欲しい物です。
テレビを観ておられて、きっと自分たちでは飼えないからと、ドッグフードなどを差し上げる方もおられるでしょう。
それは、日本人の愛すべき善良な国民性なのでしょう。
せめて、自分の知るところだけでも、出来ることなら施せるならと、日本人に培われた大きな長所だと思います。
確かに、根本としての疑問や闘いをのぞむ風土ではない。
砂漠を生き抜き、狩猟をしてきた民族ではなく、農耕をしてきた民族の長所と欠点なのでしょうか。

2006年11月24日 (金)

共存を、共生を、無の中にあり。

猫の里親が見つかってホッとしていたら、今日また子猫が落ちてきた。
商店街の上で親猫達の喧嘩の巻き添えで商店街のアーケードから落ちてきたようです。
ボス猫の子供のようで小さいくせに目のつり上がったいかにも悪そうな顔つきをしている。
逃げ回るのをやっとこさでひっつかまえて箱に入れた。
明日まで待って、里親をまた根気よく捜すか、それとも落ち着かなければ保健所に持って行かないとならないかと思って、少し思い悩んでいたら、箱を破って逃げてしまった。
彼(オス)にとっての選択か・・・とあきらめた。

養老孟司さんもおっしゃっておられるように都会はすべてが人工である。
道はすべて舗装されて、公園は自然をつぶして植林により自然風にしなければ気が済まない。
1+1は2の世界だ。
飼い猫はある程度意のままになる、野良猫はまったく意のままにならない。
人間の意のままにはならない。
すなわち、邪魔な物と言うことになる。
しかし、野良猫からすれば、それは知ったことではないのだが。
人間中心の西洋社会に日本もなったと言うことだろう。
これが先進国の証明というものらしい。
人と自然、支配者と従属者、正義と悪、どこまでも白黒をつけないと収まらない力による支配の文明の歴史を日本も持ったと言うことになる。
猫に言わせればそれは良い迷惑だろう。
野良のどこが悪いと言うことになる。
管理社会が狂犬病も作ったと元を正せば言えるのでは無いだろうか。

2006年11月23日 (木)

拝観料と宗教

いよいよ、京都の晩秋の人の波が押し寄せてきた。
今日はそのほんの序章にしかすぎない。
とは思うが・・・なんだこの人の多さは。
名刹と言われる社寺は、ライトアップでこのシーズンだけで億という額を稼ぐらしい。
何とかの・・丸儲けという、京都市には何ら入ってこないものだが。
門前の繁忙の方々は別にしても。
宗教法人とはなんなのだろうか?
別に、夕方から宗教行事でもあるまいに。
拝観料のいくらかでも有効に市民使っても良いのではないだろうか。
有り難みがないと言われて久しい神社仏閣の奥(億?)のお話とお願い。

数値化の限界

量子力学では、量子の動きはそれを見る観察者の影響を大きく受けることは有名だ。
そして、シュレディンガーの猫で有名なように、物質は客観的に存在するのではない、それを観察している人間の存在を無視しての影響的理論を考えることは出来ない。
ギリシャ哲学やそれを踏襲したヒポクラテスの四体液説、錬金術、古典力学と流れてきた細分化でき、すべての物は数量化できると言う科学の考え方。
究極には、E = m c2 まで。
このすべては軽量化、数値化できるという考え方が量子の世界で崩れてきたと言うことは皮肉ではありますが。

精油抽出の発想は、ヒポクラテス以来のこの細分化の発想が植物自体解明のための細分化の影響を思想的に受けていると私は考えます。

生きるいのちと言う”質”を問うか、生きながらえるという生命の命の”時間”を問うか。
先に述べたように、時間という数値に置き換えられる物をこの場合決して選ばないだろう。
延命装置で命の時間を問われても本人にとっては数値でしかない。
郵政民営化で清く袂を分かちながら、舌の先の乾かぬうちに復党を願う。
やはり、己の命の質より延命なのだろうか。
数値に頼るのはいい加減にしなければならない。

2006年11月21日 (火)

得をするシナリオを書けるのがエリート?

物事はままならないという話の続きなのだけれども、
今国会でも教育基本法の審議で100時間も協議をしたから採決は当然という話をしている。
議論というものは、農耕民族にはなかなか難しい。
ただ、大きなものに巻かれる事である場合が多い。
大勢の中で、少数意見を述べ反対などしようものなら変わり者にされる。
教育においても、指導側は、正しいこと、ただそれだけを指導する。
正しくないと思われること、反証について考える必要性を許さない。
正しいことだと言う以外の事、正しいかそうでないかの思考する。という疑問すら持たせようとしない。
私はそこに問題があるとおもう。
画一的な思考を持たすことは、労働力としては便利この上ないが、
終身雇用を保障しない企業において、雇用される側にはこの教育はたいへんに不利でしかない。
もちろん、狩猟民族的な、生か死か、イエスかノーか、それしかない教育。
生きるためなら、その判断を自ら下すしかない。
郵政民営化に反対した議員はイエス・ノーをはっきり言ったはずだった。
これとて、日本では曖昧模糊に過ぎたことは時が解決してくれるがごとくに平穏に・・。
しかし、この問題においてもだけれども、現代において、自らのアドバンテージを保つためならば、どんなシナリオでも考えられるようにする教育。
こんな現代の教育がよいとは思えない。
これは、十字軍まで遡らなくとも、911の惨劇にしても、それに対するアメリカの攻撃など考えればわかる。
そして、日本においても今や同じ事だ。
戦争ではないが、村上ファンドや、ホリエモンのロジックを聞けば同じ事だとわかる。
今の勝ち組の構図は、いかに自分の有利な絵が描ける技術に長けているか。
そう言う教育がエリート教育になり、世間で言う、勝ち組の教育になっている。
しかし、このようなアメリカ型、しいて言えばキリスト教原理主義型の、森を伐採し、次に化石燃料を石炭、石油と枯渇させ、人間至上主義のロジックから、自然と人間の環境共存主義のために、教育基本法の前に根本的な原理を考える必要があるのではないか。
科学を盲信するのも、最近の癒しブームにのったへんてこな講話を聞くのも、
自らの創造力の欠如としか思えない。
狭い意味で、必要な正しいことだけを教えるのではなく、もっと壮大な可能性を持つための創造性のあることを考えること。
その大切さをも教えなければならないのではないか。

2006年11月19日 (日)

自然に畏敬を

香水と精油、のお話しをしました。
ものは工場生産物のように、なんであってもすべてものは均一であると思っている人は多い。
曲がったキュウリが売れないように。・・・未だにこの認識、疑問を持って欲しい。
そしてこの、あまりにも自然や五感に対する理解の乏しい(あえて乏しいという言葉を使います。)のは男性に多い。・・・イマジネーションが乏しい。
仕事をする上での慣れのせいかもしれませんが、都会での価値観や社会観を当然のこととだと思っておられる方は男性に多い。・・・やはりイマジネーションの欠如。
物事は予定通りに進むのが当然、進まないが間違っていて、うまく行かないのは、ただ、世の中はままならないものだという風に思って疑わない。
水道電気は当たり前で、停電などもってのほかと思っている。
西洋医学が常識で、伝統医学などもってのほか、野蛮だと思っている。
しかし、世の中はままならないのが普通、ままになるなどおかしいのです。
世の中はままなるのが普通だと思っているのは、画一的にしているのはすばらしいことで、人間の力がそうさせている、力が及ばない竜巻のような天災には科学の能力の及ばないためだと思って疑わない輩だけだ。
それは、社会の歯車と言うことではないのだろうか。
しかし、どこからが科学でどこからが呪術なのかは本当はかなり曖昧だ。
なぜなら、科学においても、証明の証明など元を正せばどこから信じるかの話ではないか。
定理による証明など、ユークリッドやベルヌーイを信じている事から始まっているだけの話だ。
それなのに、何度も言うように、1+1は2であると信じて疑わない。
6世紀にインドでゼロが発明されたのだが、ゼロは、無なのか、空なのか、現実には無限なのかもわからないくせに。
ただ、数学の十進法によるゼロの約束事をそのまま疑問を持たずに信じているだけなのに。
60進法の時間では、ゼロは基点であり無ではない。
何が言いたいのか!
五感に興味がない、香りの存在に意義を見つけられない(好きか嫌いか、興味が有るか無いかは別問題。)無機質な社会の歯車のような人間にはならないで欲しい。
人間は、動物としての情動反応(身体的生理的反応)ばかりか、人間の高等能力、感情は意志や意欲・思考などの大脳前頭連合野も大いに利用しなければならない。
男性にない女性の能力にたいして、自分にその能力がないことを素直に男性は認めるべきである。

2006年11月18日 (土)

精油が採れない花の依頼

精油を扱っていると時折香水を作って欲しいという人が来られる。
もちろん、私のところに来られるのだからいわゆる素人だ。
アロマテラピーを少しでもわかったおられる方が香水を作ってくれとは来られない。
アロマテラピーショップは香水を作るところではないと言うことと、もう一つは、かりに天然香水を作るとしても花精油を使うとなると高額になることを当然ご存じだからです。
また、香水をよくご存じの方も香水専門店に行かれるから、当然当店には来られないわけです。
当店にご自分のオリジナルの香水の依頼で来られる方は、香水というものも自体も漠然と考えておられる。
そういう人は、安くてしかも花の香りの希望をされるのがほとんどです。
バラなら高価だと説明できて良いのですが、なかには、スズランとかカーネーションとか桜とか手強い。
そういう精油は天然では稀少であり高価でもあるからとお断りするのだけれども、たいがいのそういう方のご予算は800円とか1000円とか高くて2000円くらいなのです。
しかし、それだけでは、作れないのかと思われているようで、少ししゃくに障るから、依頼される前に、理由を表にして見せられるようにしようかと考えた。
たとえば、スズランや梅、桜、ユリのように、香り成分が極めて変化しやすいもの、
モクセイやチューリップ、ヘリオトロープ、カーネーションのように採油部分が少ないか、採油率が悪くて割の合わないもの、
クチナシやスミレ、菊、竹のように、代替品があるか香料的な価値がないもの。
と言っても、相手は天然に対する意識が皆無。
人工でもなんでも良いとおっしゃる。
植物の認識が、どう言えばいいのか、作物でなくて商品、たとえばコンビニにあるようなものだからと言えばよいのだろうか。
すべては、石油製品と変わらない認識で作られる商品なのです。
フィトテラピー、アロマテラピーに関わっているものにとってはこういう方に説明するのは難しい。
香りの効果という点では、精神的効能は単に自己体験としてわかってらっしゃるのだが、それは客観的、学術的ではないからだ。
こういう相手は手強い、まだまだ私も青いのであります。

2006年11月17日 (金)

子猫のミントちゃん

20061110_939_2 有り難うございました。
AIVANアロマテラピースクールの卒業生の方が里親として引き受けていただけることになりました。
名前も”ミント”と付けていただけました。
ご心配をお掛けいたしました。
すっかり大きく猫らしくなってきました。
巣立って行くことがうれしい。

2006年11月16日 (木)

生きたいがために自殺するのだ!

いじめによる子供の自殺者が毎日のように報道されている。
気の毒になくなったお子さんやご家族関係者のお気持ちはさぞかし無念だろうと思います。
自殺したと言うことは、必死で生きようとしていたと言うことでしょう。
必死で生きようと言う意識があるからこそ、死を選んだのでしょう。
必死で生きようとしないものが、生と対峙する必要などないのですから。
そう思うとよけいに無念さがこみ上げてきます。
マスコミは、煽るようにいじめによる自殺者を取り上げますが、
本気で問題視をしているなら、自殺者の回りにいる親や友人など関係者のケア、
そして何よりも、同じ状況にいる子供達へのアシストを考えてあげるべきではないのだろうか。
教育基本法改正の強行採決、タウンミーティングでのやらせの質問と謝礼、そしてそれに答える塩崎さんの答弁。
これを観ている子供達をバカにしていて良いのだろうか。
私が子供なら、こんな大人に相談する気になどならない。
何度も裏切られている人間が裏切られるかわからない大人相手に心底命を預ける気になどならないだろう。
政治も、報道も本気で子供の将来のことなど考えているとは思えない。
所詮は、社会性、生産性のない子供と老人など・・・、と思っているとしか考えられない。
自社株に血眼になっている新聞社のオーナや政治家には、説得する資格などないはずだから。
亡くなられた校長には気の毒だが、自殺するような最高責任者のところで、児童が相談に行くはずもない。
いくらいじめられているとは言っても、必死で行きたいがために自殺rしてしまう子供達をなめてもらっちゃ困るのだ。
必死で生きようとしている悲痛な叫びなのだから。

2006年11月12日 (日)

食料の自給率

京都自給ネットワークというNPO法人があるのを知った。
11月19日に百万遍の知恩寺というところで収穫祭というイベントをされるらしい。
知恩寺は、毎月、古本市をやっていてにぎわっているところで、
京都大学の友達のイベントや個展などでも良く顔を出した場所だ。
その収穫祭のイベント案内に、
”日本人1億2600万人の食糧自給率40%、それを支える384万人、
内訳は、農民が360万人、漁民が24万人、
人口の約3パーセント、そしてそのうちの3分の1は60才以上だ。”
と書いてあった。
まず、今防衛のためにすることがあるとしたら、迎撃ミサイルを買うことよりも自給率を上げることではないか。
しかも、安全な食料を作り育てることを理想として。
豊かな大地が人を育てる。
決して、大都会や西洋文明が人を育てるわけではない。
キリスト教,イスラム教などの原理思想を元とする原理覇権主義国家の顛末は待てない。
稲作漁猟により、豊かな水と緑の大地に根ざした思想は豊かな育みを生む。

2006年11月10日 (金)

子猫の里親を募集中

20061110_939 生後40日ぐらいのロシアンブルー風のかわいい子猫です。
もう少しして毛並みがそろうときれいになるでしょう。
よく食べて健康な子猫です。
里親を捜しております。
病院で検査もしました。
目はグレーで素敵なおしゃれな子猫ですよ。
他のフォト
お問い合せ下さい。075-221-0726 花輪マルサンまで。
20061110_937_1

2006年11月 9日 (木)

アロマトグラム(Aromatogramme)

Prissemi_012Prissemi_014_3 アロマトグラム(Aromatogramme)の発表風景。
私がパリ大学フィトテラピー学会からのお招きで行かせていただいた、今年の6月のパリでのフィトテラピー学会の発表風景の一部です。

先日の日本アロマセラピー学会でのEBMにおけるアロマトグラムのご質問に答えて。
メールでの質問が3件、なぜか私の方にも来たもので参考にと載せました。

アロマトグラムとは、ディスク拡散法による精油感受性測定法のこと

アロマトグラムの方法は、一定量の精油または希釈した精油を染みこませたディスク(濾紙など)を、病原菌(ブドウ球菌、腸内細菌など)を塗布した培地(寒天培地など)の上に置き、その増殖する菌の阻止をディスクから染み出す精油などの円の広がりにより精油などの感受性を測定する方法。

拾った子猫に考える

屋根から落ちてきた子猫もだいぶ人間になれてきました。
受講生や講師はもちろん、近くのあ20061110_932 ぶらとり紙で有名なよーじやさんのスタッフ達も休憩時間に覗くに来る。
子猫の汚れの無さに引き疲れてくるのだろう。
もらい手を探しているが、皆さんいろいろと事情がおありで欲しくても気軽に飼いたいという方はなかなか見つからない。
もらって帰ると言うことは十何年か一緒に暮らすという覚悟だからとおっしゃる方もある。20061110_937
本当はそういう方に飼って欲しいのです。
獣医さんに連れて行って、皮膚病などのいろいろな検査もしてきた。
生意気に???、目はグリーンの野良猫なのだ。
今日くらいから、意思表示をしだした。
人の愛情に気がついてきたと言うことだろうか。20061110_938
人間であろうが、猫であろうが、人種(この場合は種属か)、言語(と言えるかどうか)、性別、職業(まだ就学前)、宗教(これは無いならない方が幸せかも)、貧富(野良猫・・)、教育レベル(まだ入学していません)、主義(これは持っている)などにこだわることなく、自分の存在を認めてもらうことが信頼関係の基礎であるような気がいたします。

2006年11月 7日 (火)

AIVANはグレードアップを続けます。

このところの建前社会、履修問題、サービス残業、いじめ、核保有問題、
現代社会においては、自意識の存在以外は社会には存在し得ない。
建前に通じる社会。
そのような社会に住んでいるのではないだろうか。
今の、現実社会では、産まれることと、死ぬことがないと言うこと。
昔のように、我が家で産湯を使って生まれ、そして家族に見送られて逝く訳ではないのが現実の世界でもあるのです。
どちらも病院の中の現象であり、死に至っては、葬儀社に任せてしまいます。
現実の生活の中では、儀式に参加すること以外に、生と死は無いのです。
つまり、現代は、子供達は人として扱われない。
産まれることと死ぬことは特別なことで、常々は生と死を考えなくて良いと言う世界に住んでいることになります。
今や、生活の中では、誕生と死は特別で、異常なことなのです。
確実に存在するが、全く別の場なのです。
それは、どちらも他人のことしか自分ではわからない、すなわち意識外だからかも知れません。
デカルトのように、”我思う故”でなくとも、生と死がビデオやゲーム感覚以外でわからない以上、我、すなわち意識の存在しかないのです。
"To be, or not to be,  BUT is not the question."
シェイクスピアにクレームをつけられるかもしれませんが、クエッションにもならない世の中なのです。
人間にとって、命と生きると言うことは全く違うことです。
生命とは、この命と生の両輪でなされることだと。
”時として、人が苦しむとは知らずに、無知から人を苦しめます。
たとえば、動物も喜びと苦しみを感じると意識するのは希です。
私たちは、自分が経験しなければ、仲間の苦しみを本当に理解することは出来ません。・・・・・・
なかには、他人に犯す害を全く気にしない人がいます。
彼らは、大切なのは、自分が被害を被らないことだと考えます。
無自覚の問題です。
このところの子供達の悲劇がそれを物語っています。
しかし、生と死を受け止めなければ哲学にはなりません。
これが無自覚であれば、生老病死・自他、が存在しません。
フィロソフィーでなく、サイコロジーにバトンを渡さねばならないでしょう。
我々は対処療法ばかりではなく、フィトテラピーやアロマテラピーのような自然の叡智との共生をも学ばねばならない。
本来の人として、そうあってこそセラピーがあるのです。
我々はそうあるのです。
一人、AIVANを巣立った生徒がSPAで修行をして戻ってきてくれることになった。
益々AIVANの教育には場が出来てくることに喜びを感じております。
AIVANは、資格が終着の、そんなつまらないスクールであってはならないのですから。
よりいっそう充実した学びの場に我がAIVANはなっていくでしょう。
川上校長の、よりすごい!プロフェッショナル実践講座も来春に開講予定です。

2006年11月 5日 (日)

マギーティスランドの初版本

マギーティスランドの初版本

ご覧のようなマギーティスランドの”女性のためのアロマテラピー”が出てきました。

懐かしい思いがします。
誰に言ってもアロマテラピーってなに?????と言われたものです。
かおりが人をリラックスさせるのですというとけげんな顔をされて、”市辺さんってそう言うのがお好きなのですね。”
”・・・・・(売り込みのトークをこちらに預けられては話が続かない。)”と思ったものです。
マルグリットモーリー女史のお写真と当時の本もありました。
フレグランスジャーナルのようなりっぱな図書館と言うまでにはほど遠いですが、いろいろと好きな本は読んできたと言う事なのでしょうか。061105_201139_m 061105_201248_m

2006年11月 4日 (土)

C.W.ニコル氏の講演に感動

今日、4日の日本アロマセラピー学会の特別講演は朝九時から始まりました。
学者の朝は早い。
しかし、慌てて出席するだけの、非常に価値ある講演を聴講させていただきました。
誠心会の脳外科部長の上田先生の香りと音楽と脳の血流による興奮と鎮静、男女の違いでは、テレピン油が脳のやる気の部分を活性させると言われた。
また、男性の脳は動態を観察して、女性は静止画を観察するとか。
男性は30分も鏡を見ている事が出来ない訳です。
感覚刺激から脳を見ると、機能面では男性の脳の機能は集中していて一部に障害ができるとその部分の機能回復はむつかしいが、女性は機能が分散しているから何とか機能を使えるようになるとか。
いろいろと機能と香りについて科学的根拠の元にいろいろなことを学ばせていただいた。
森林セラピーにすばらしさも学びました。
C.W.ニコルさんの涙の出るようなすばらしい講演はウェールズ系日本人の自然へのひたむきさと小さなことに打算のない、大きな自然愛を感じずに入られませんでした。良いご講演を立て続けに聞かせていただきました。
アロマを愛する方々に是非聞いてもらいたいご講演でした。

アロマを愛する医師たち

埼玉の大宮で開催された日本アロマセラピー学会第9回総会にお招きいただきました。
ありがたいことに毎年お招きいただき2回も講演までさせていただいてもいる。
多くの著名な先生方とお近づきになって知識はとても及ばないがいろいろと人と成りも学ばせていただいた。
アロマをされている医師たちは親しみのある方々で、平易にお話をして下さる方々です。
役員だからという気負いもなくて分け隔てのない気さくさは、ビジネスへの気負いでなくセラピーを純粋に愛されている根本に学びの姿勢があるのでしょう。
専任に人々がいるわけでもないのにこれだけすばらしいことができるのはいろいろな学会があるノウハウのおかげなのでしょう。
いろいろな団体に参加させていただいて、どれもすばらしい会だと学びました。
ボーダレスなそしてクロスオーバーな交流ができればと今日は思いました。

2006年11月 2日 (木)

アーケードの屋根から猫が

アーケードの屋根から猫が

私どもの店、花輪丸三AIVANアロマテラピースクールのある花遊小路商店街のアーケードの上の辺りから、いきなり猫が落ちてきたらしい。
鼻血を出し、心臓がぱくぱく。
死ぬかも知れないとみんなで心配。
そして、獣医さんに診てもらって抗生物質を与えてもらって大丈夫と言うことで帰ってきました。
まずは無事で何より。
また、家族が増えてしまいそうです。
先日も隣の隣、穴澤楽器店さんと裏のビルの隙間の壁の間に子猫が落ちたのでレスキューを呼んで、自分ちの壁に穴を空けてもらって助け出したとか。
世の中には、人それぞれの納得も行かないような、でも納得しなければならない大事なことがいろいろとあります。
(私利私欲や保身のために仕方なくする、と言う最近の見苦しいこととは別。)
それこそが”人となり”、ということなのでしょう。
生産性の意味などそんなものは後で他人がつけることですから。
未履修の教科を50時間に減らして世界史をやって何の意味があるのだろうか。
履修したその成果は何なのだろうか。
先生は履修をこなし、生徒は机の上で受験勉強をするというのは目に見えている。
未履修になった意味はそこにあるのだろうに。
片方で未履修を叩き、春になれば名門大学の合格率に右往左往する。
それが当然の”しかたない”という馴れなのだろうか。
本質を掲げて厳格論を言いながら建前で終わらせる。実際には本質にはほとんど触れない。
新庄選手のかっこよさにあこがれるのは、カッコをかまう発言をしながら、実は本質をめざすと言う裏腹さなのかも知れません。
子猫には罪はありません。
すくすくと育って欲しいものです。

2006年11月 1日 (水)

人の輪と縁

本当にアロマテラピーに縁がありなどと似つかわしくないことを考えていると、・・”縁”などと、私が言う言葉ではないのだけれども。
が、昨日、ふとしたことで電話にて3ヵ月ぶりにお話をして同じ会に出席なら11月3日は一緒に東京に行こうか、と約束した人がある。
そして同じ昨日に昔のSEPの仲間で本当にお世話になった人とも、またひょんな事から半年ぶりにメールをして、3日に東京の講演会をおさそいしてお約束した人がある。
偶然、そのお二人が翌日、すなわち本日、大槻真一郎先生のところの勉強会で、共通の話題から京都の私の話になって、その話から二人に接点が出来たということになったらしい。
どちらも、私のほんの気まぐれくらいのひょっとしてお役に立つかなと思った程度のことだったのだが。
まあ、お互いヒルデガルドに興味があるというのだから、魔女のお誘いかも知れません。
最も、私もヒルデガルドには興味があるのだけれども、植物療法にはまだまだ私には学ぶことが多すぎます。
アロマテラピーは西洋に重心があるが、植物療法となると、そのバランスは必ずしも西洋とは限らない。
薬草に対するとらえ方も二分するし、なんと言っても薬草の豊富さは東洋には叶わないのだから。
その環境の違いが、ヒポクラテスの思想を生んだとも言える、と人文学的には言えるのではないかと考えます。
いろいろな因子が、いろいろな想像を生み出してくれます。
”縁”と言うものもそういうものなのかも知れません。

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